龍寳寺について

ご先祖様を偲ぶお気持ちを大切にいたします

ご先祖様について考え、適切に供養したいとお考えの方は多くいらっしゃいます。歴史ある下町として知られている台東区にて墓地の管理や各種法要を行っておりますので、供養について気になることがあれば気兼ねなくお話をしてみませんか。

龍寳寺の特徴
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龍寳寺について

龍寳寺は浄土宗の寺院で、正式には珠島山是應院龍寳寺(しゅとうざんぜおういんりゅうほうじ)と号します。創建は江戸時代初期の慶長16(1611)年と伝わります。駿河国岡崎で徳川家康公のお側に仕えていた是應上人が、家康公の江戸入城の際に召し出され、八代洲河岸(現在の千代田区丸の内)に土地を賜ります。上人はそこに一宇の庵を結び是應庵と称していました。 その後、慶長16年に換地を賜って移転することになった際、一寺を建立することになり家康公の譜代家臣であった酒井河内守重忠が大檀那となり是應上人を開山上人として創建されたのが龍寳寺となります。 以来、400年余りにわたってこの地にお念仏の声を絶やすことなく、檀信徒の菩提寺として伽藍が維持されてきました。 明治以降は、関東大震災による火災や第二次世界大戦における東京大空襲の災禍により2度にわたり堂宇は灰燼に帰してしまいましたが、歴代上人及び檀信徒の皆様の尽力によりその都度再興を果たして現在に至ります。 境内には江戸時代末期に建立された大鯉の供養塔である鯉塚があります(現在のものは昭和59年に再々建されたもの)。石碑には「昇鯉(しょうり)観音」が刻まれ開運出世、あるいは「鯉」と「恋」を結び付けて縁結びに霊験ありとして信仰を集め、寺は「鯉寺」と呼ばれ親しまれています。
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私たちの宗旨

名称  浄土宗
宗祖  法然上人(源空)(1133-1122)
開宗  承安5年(1175)
本尊  阿弥陀仏(阿弥陀如来)
教え  阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、
    「南無阿弥陀仏」とみ名を称えて、
    人格を高め、社会のためにつくし、
    明るい安らかな毎日を送り、
    お浄土に生まれることを願う信仰です。
お経  お釈迦さまがお説きになった『無量寿経』
   『観無量寿経』『阿弥陀経』の三部経を
   よりどころとします。
龍寳寺の歴史
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鯉塚について

境内には、江戸時代末期に近くを流れる新堀川で生け捕りにされた130㎝を超える大鯉を供養する「鯉塚」が建てられています。関東大震災と東京大空襲の2度の災禍により崩壊しましたが、昭和59(1984)年、二十七世雲譽信丈上人の発願により三代目の石碑が再々建されています。
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「鯉塚縁起」

嘉永6年(1853)3月29日、浅草新堀川龍寶寺門前付近に四尺五寸程なる大鯉浮かびいたるを見て、町の人々大騒ぎとなり之を捕えんとせしも大鯉暴れ容易に捕獲出来ず、遂に船を出し血気の若者達数名川に飛び込み、各自刃物竹槍等にて突き刺し漸く大鯉の弱りたるところを捕え、河畔なる龍寳寺庭内大池に放ちやりしが、4月3日大鯉は遂に死せり。 然るに近隣の者、その夜大勢集まりてこれを食せしところ、にわかに高熱にうなされ吐血するものもあり、40日余大いに苦しみたり。特に料理せるもののうち2人は同月16日に、他の4人は同月23日相継いで悶死せり。遺族の者達、この不思議なる祟りにおどろき、ゆかりの者一同と心を合わせ鯉の霊を慰めんと龍寳寺境内に供養の碑を建て篤く弔いたり。 やがて風間日々に広まり参詣する者次第に多く又不思議にもろもろの奇瑞をあらわし、とりわけ安産子育て開運出世縁結びなどには霊験あらたかなるにより、参詣人の讃仰いと篤く江戸中の評判となり、これよりいつしか龍寶寺を鯉寺と言い伝えたり。 然るに大正12年9月1日の大震火災にて碑は崩れ去り、昭和12年4月3日、千人に及ぶ善男善女の結縁協力に依り昔に勝る鯉塚の再現となり。あらたに昇鯉観音堂建立を再現し江戸以来の名跡復活なると信徒の者達大いに喜びいたりしも、無情なり、日米開戦後、昭和20年3月10日東京大空襲の折再度崩壊の厄に逢い、爾来39年の星霜を経て今日に至る。 然るに、此度信徒の有志の人々大いに惜しく思いて、今ひとたび再建の大願成就を期し精進結集の祈り空しからず遂に機熟して、ここに入魂かがやく鯉塚の新姿を仰ぐに至れり。(昭和59年10月14日) 今よりは、寺檀信徒相い共に一層心を戒しめ、江戸旧跡の保存伝承ならびに昇鯉観音信仰に思いを致し、併せて、各精霊の冥福を祈り広く世の人の幸福を分たんとするものなり。

龍門の瀧ならなくに龍寳寺
  登りてたつとなりし鯉塚
           (鶯 亭 金 升)
龍寳寺が選ばれる理由

龍寳寺が選ばれる理由

歴史に培われた信頼できるお寺

龍寳寺は江戸時代1611年(慶長16年)に建立された由緒正しいお寺です。
400年以上の歴史の中で、龍寳寺はたくさんの方の供養を行ってきました。
歴史に培われた信頼できるお寺

お墓のお引越しや分骨も可能

龍寳寺のお檀家様になって頂ける方であれば、お墓のお引越し(改葬)や分骨も可能です。
改葬の際は、現在の墓地の管理者と墓地がある役所と龍寳寺において、書類による手続きが必要となります。
分骨の場合は現在の墓地の管理者との協議が必要です。
お墓のお引越しや分骨も可能

最寄り駅から徒歩5分の好立地

龍寳寺は東京メトロ銀座線「田原町駅」から徒歩5分、都営大江戸線「蔵前駅」から徒歩7分の好立地。
上野や浅草からも近く、年忌法要など、大勢の親戚にお集まりいただく際には関東一円どこからでも電車でアクセス可能です。
最寄り駅から徒歩5分の好立地

都心にご先祖様のお墓を持つメリットは多岐に亘ります

関東の様々なエリアから足をお運びいただける好立地ですので、定期的なお墓参りやご親族の方々が集まる年忌法要もスムーズです。また、観光地として有名な浅草にも近いことから、お墓参りをされた後に散策を楽しまれたり、お土産を購入されたりする方もいらっしゃり、「お墓参りが楽しみになった」と嬉しいお声をいただいております。

疑問点やご不明点を解消できる質問集をご用意しております

お墓の建立を検討されている方、そして新たに檀家となった方などから頂戴したご質問を見やすくまとめておりますので、何か分からないことがございましたらぜひご覧ください。もちろん、掲載されていないことについて知りたい場合は、気兼ねなくお問い合わせいただけます。一つひとつのお困りごとを丁寧にお伺いし、お答えいたします。

改宗を伴うお墓のお引っ越しについても柔軟に対応しております

墓地と一口に言っても、その種類や場所は千差万別です。「綺麗なお墓があるけれど、自宅から離れているので中々お墓参りができない」「菩提寺の対応に少し不満がある」という場合は、お墓のお引っ越しについて検討してみませんか。経験豊富な僧侶が在籍しており、スムーズにお引っ越しできるようできる限りお手伝いいたします。